June 23, 2025

AIは試行錯誤の価値を計算できない

AIが私たちの生活や仕事に急速に浸透していく時代において、投資家として将来的な影響を考えるのはもちろんのこと、父親として、常にAI時代における正しい子育てのあり方とは何かを考えている。

子どもたちが将来必要とする最も重要な能力は、もはや「問題解決」力ではなく「探求」力である。これはまた、アジアの家庭にありがちな教育ロジックである代理子育て(Proxy Parenting)をそろそろ引退させる時期が来たということを意味している。

ここ数年、私はインターンにやってくる優秀な高校生や大学生とたくさん接してきた。彼らは確かに賢く勤勉だが、十分な決断力をもっている者は非常に少ない。彼らと深く対話をすると、いつも似たような言葉が口をついて出てくる。「父が今後はこういう仕事に就いたほうがいいって言っている。」「本当は学部を変えたいんだけど、母は学位も半ばなのに衝動的になってはいけないって言っている。」「私は映画を作りたいんだけど、両親はあくまでそれは趣味であり、仕事にはできないと言っている。」

これらの若者たちは自分の人生に責任を持ちたくないのではなく、小さい頃から「人生には標準的な答えがある」、そして一番安全な方法は、大人たちの言うことを聞くことであると信じ込むよう訓練されてきているのだ。

しかし、世界はすでに変わったのだ。AIの台頭により、ますます多くの企業が、その人材の出身学校やテストが満点かどうかではなく、むしろ、不確実性の中で決断を下す勇気を見ている。つまり、不確定の中で決断する勇気、自己主導的な学習能力、そして間違いを犯し、反省し調整を行うフレキシブル性である。

これらの能力は、「傾聴」とは相反するものである。その能力のほとんどは、間違った選択、失敗した試み、そして現実世界や社会的ドグマとの反抗的な衝突から生まれるものだ。

私たちの世代の親や教育者、そして投資家も、未来は定型的な答えを埋めるのが得意な人々によって支配されるのではなく、独立して考え、自分の道を切り開くことができる人々によって造られるという事実を理解すべきなのである。

だからこそ、私は我々親世代に伝えたい。「子どものバトンを握っている両手を放してください」と。観客になることも、チアリーダーになることも、子どもが倒れたときに受け止める人になることもできるが、子どもの代わりにその場に立つことはできない。人生というレースは自分だけのものであり、たとえつまずき、転んでも、自分の力でやり遂げなければならない。

子どもに自分で選択させ、自分で間違いを犯させることで、ペースは多少落ちるかもしれない。しかしそれは、その子どもの学習曲線であって、あなたの人生の延長線上にあるものではないのだ。

AIは多くの専門スキルをシミュレートすることができるが、人が世界を真摯に探求するプロセスをシミュレートすることはできない。そしてそれこそが、この時代において最もかけがえのない価値なのである。

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