最近、Anthropic社が発表した『When AI builds itself(AIが自分自身を作るとき)』を読んだ人は少なくないであろう。このトップAI企業では現在、コードの8割以上がAIによって書かれており、チェック作業すらもAIが代行している。記事ではさらに、人類に残された競争力は、「センス」と「判断力」だけである、と述べられていた。
読み進めながら、私はこう思いを巡らせていた。「判断力が人類の最後の防衛線だとしたら、それは一体どこから来るのだろうか?」
ベテランのエンジニアが1秒でバグを見抜けるのは、自ら数万行ものプログラムを書き、数え切れないほどの修正作業を通じて感覚を磨いてきたからである。名医が一目で病巣を見抜けるのは、1万人以上の患者を診察してきたからである。判断力は突然生まれるものではなく、長年にわたって知識と経験を積み重ねていく中で、徐々に培われていく直感である。
言い換えれば、AI時代において絶対的な基準とされている「批判的思考」は、各自のこれまでの基礎に根ざしているのだ。その基盤が不安定であれば、人類が誇りとする判断力も、おそらくは別の形の「幻想」に過ぎなくなる。
しかし、現在の科学技術の発展は、この基盤を急速に蝕みつつある。
ある科学者が実験を行ったところ、AIに代筆させる習慣のある人ほど、脳神経の接続が最も弱く、後で自分が何を書いたかさえ思い出せないことが分かった。言い換えれば、読書や分析といった頭を使う作業をAIに任せすぎるようになれば、すぐに答えを検証する能力さえも失ってしまうことになるだろう。このように、ある意味では、私たちは徐々にこのハイテク時代の「新しい文盲」になりつつある。
AIの威力は疑いようがないが、私はよく自分自身にこう言い聞かせている。「一見最も非効率に見える基礎的な作業に、実は近道などない」と。例えば、長々とした報告書を自分で最後まで読み通したり、数字を自分で計算し直したり、論理の穴を徹底的に突き詰めたりすること。こうした一見原始的で愚かな行動こそが、実は判断力を養うための「ジム」なのである。(もちろん、雑用はAIに任せても構わないが、思考力の訓練鍛は、必ず自分自身でこなさなければならない。)
ここ数年、私は、どんなに忙しくても毎日1万歩歩くことを欠かしたことがない。もっと速い移動手段があるにもかかわらず、歩くことは確かに「時間のかかる」選択だ。しかし、この一見「非効率」に見える行動のおかげで、私はお金では買えない健康を手に入れることができた。思考についても同様である。答えがすぐに手に入る時代だからこそ、私たちは立ち止まって、「自分で考える」ということに時間をかけることをまだやろうとしているか、自問してみるべきではないだろうか。