August 6, 2024

自分のシンパイを抱きしめよう

いつの頃からか、不安は人間の脳のコンソールを静かに支配するようになったようだ。まるで人々が日常生活で話しをし、感じるすべてのことが、不安の影響と切っても切れない関係にあるかのようだ。これは、私がカウンセリングを担当している素晴らしい若者たちに特に顕著に表れている。ソーシャルメディアや情報が氾濫する「過剰露出の時代」に、私は彼らが不安に打ちひしがれている姿をよく目にする。

不安が常につきまとう現代人だからこそ、ピクサーの最新アニメ映画『インサイド・ヘッド2』がこれほどまでに共感を得たのかもしれない。

最近、私も映画館に足を運び、感情の主人公たちと一緒に脳内の嵐を体験した。そして地面に倒れ込んだシンパイが、声を詰まらせながら「ただ助けたいんだ」と言ったのを見て、私は感動で涙を流した。

映画の中でのシンパイの描写は、不安にはポジティブな面があることを私たちに感じさせてくれる。シンパイの本質は、未知の領域を突破し、成長を望み、自分の能力と努力を向上させることによって自分の運命をコントロールしようとするものである。シンパイは私たちを緊張させるが、同時に私たちを前進させ、更には危険を回避させる。この観点からすると、不安が生じたとき、不安は実は私たちが気にかけていることが何なのかを再確認するための良いリマインダーなのである。改善したい欠点は何であるのか。こうした方向性をうまく利用すれば、不安を継続的な改善のモチベーションに変えることは大いに可能である。自分を見つめ直し、努力することで、ついに不安の霧を打ち破った瞬間、不安がなくなることで得られる心の安らぎ、そして達成感から得られる幸福感を味わうことができる。

しかし、なるべく避けるべきある種の不安がある、と私は考える。それは比較による不安である。他者との比較という発想から脳が不安感を募らせるのであれば、他人は自分が欠乏しているものを持っていると考え、常に他人の生活を羨んだり、他人のように生きたいと思ったり、単に他人の目を気にしたりするようになり、この種の感情は単なる恒常的な自己の内面の消耗となってしまう。もしうっかり比較による不安に陥ってしまったのであれば、その時は本質的な思考に立ち返り、自分が本当に望んでいるものは何かを見極めるべきだと私は考える。それらは自身が本当に望んでいるものではないので、勇気を出して無視すべきである。

不安は常に嫌な感情を引き起こすが、それを見つめ、その背後にある原因を特定することによってのみ、私たちはシンパイを、そして自身のすべてを真に受け入れ、そこから前進する力を見つけることができるのである。この不安世代が、共に不安を抱きしめうまく付き合っていくことを切に願っている。

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