August 14, 2025

キャンパスでのある対話を振り返って

先月、私はコロンビア大学で学生とAIについて話した。その学生はこう言った。「宿題を書くのにこっそりAIを使っている人はたくさんいます。」この言葉は、中心的な問いを指し示している。AIが迅速かつ優れた仕事をこなすとき、それでも私たちは自分たちでやることにこだわるのだろうか。それは、より学びたいからなのか、それともそうすることでしか価値を見いだせないからなのか。

もちろん、考える練習をするために宿題は自分でやるべきものだと私は思っている。しかし、この苦闘は学生の身の上だけに起きているわけではない。最近、ChatGPTはエージェントモードを立ち上げ、電子メールへの返信、旅行の計画、買い物、プレゼンテーション資料作成、さらには財務諸表の作成までできるようになった。人手に頼っていた仕事の多くがAIによって行われるようになるにつれ、これまで「忙しそうに見えていたこと」の多くが、人間が行う必要がまったくないことに気づくこととなった。

AIは、一見「生産的」に見えて、実は「非効率で忙しい」多くの日常を映し出す残酷な鏡のようなものだ。では、実行力が価値を失ったとき、我々には何が残されているのだろうかという問いが浮き上がる。

私に言わせれば、残るのは判断力だ。我々は、正に「判断力の欠如」の時代に突入している。そして、かつてないほど今日の重要なカギを握っている。AIはタスクを完了するのを助け、「実行」を安価にすることはできるが、どのタスクがやる価値があるかを判断することはできないからである。何をするのか、何をしないのか、時間と資源をどう配分するのかが、他者との真の違いを生み出す。

これによって人間の役割も変わってくる。かつての職場では、多くの幹部が一歩一歩プロセスをこなしていた。 今、必要とされているのは、もはやタスクをこなす者ではなく、方向性を定め、リズムを把握できる人物である。そのような変化の中で、人間の役割は「演奏者」から「指揮者」へと変化する。もはや自分でひとつひとつの音を演奏するのではなく、全体を見て、何を最初に鳴らし、何を静めるかを決定するのだ。

良い指揮者を育てるのは、技術ではなく、価値観である。誰もがAIツールにアクセスできるようになれば、「実行力」はもはや差別化要因ではなくなる。違いは、何を信じるか、そして「重要」をどう定義するかによって生まれる。このような判断と秩序こそが、模倣できない競争力なのである。

AIは実行を安価にし、選択を高価にする。正しいものを選べば、AIは価値を拡大し、間違ったものを選べば、間違った方向に速く走るだけである。それは単なる効率化の革命ではなく、人生の優先順位のテストである。このAIの時代に、ただ多くのことをするのではなく、やるべき価値のあることを見つけることができることを願っている。

近期文章

查看全部文章